半分にカットバナナの存在感

地味な画像からスタートしてしまったが

これが今回のテーマである。


本題に入る前に

昨年末

手術入院した時の病院食メニューが

思いのほか

昭和の雰囲気を出していたので

まず見ていただきたい。

これはブログの題材になるかな

と思って

入院3日目位から

毎食写真を撮っておいたものだ。

中央に

「たいみそ」を付け合わせたラインナップ!

50年以上前に小学校の臨海学校(千葉)で食べて以来だ。

(当時おいしくてお土産でも買って帰った)

「たいみそ」オンザライス

今食べてみると

うまいけどかなり甘い

こんなに甘かったか?

この頃は

桜でんぶなど

超甘いおかずが

食卓の定番として常備されていたと思う。


しかしながら

この懐かしい昭和食材も

スマホの 食事モード で撮ったので

今風の前面ピント合わせの画像になってしまう。

もっと昭和の感覚で保存したかったのだが。


他にも

「さばの南蛮漬け」

こちらもメニュー自体は

しっかりと昭和。

なのだが

こちらも食事モードにしたばっかりに

昭和感がかなり打ち消されてしまった。

後からセピア調にするなど画像の加工も考えたが

わざとらしくなりそうなので

「入院食は今でも昭和感にあふれていた」(仮題)

はブログ記事としては断念することにした。


そんななか

「ポトフ」

メインメニュー自体は昭和っぽくないのだが

右下の小皿に目が止まった。


前置きが長くなってしまったが

ここから本題に入ります。

なんてことはない

半部にカット(された)バナナ。


であるが

お目にかかったのは実に久々。

私が小学生だった頃は

修学旅行だったり給食などで

頻繁に見かけたのだ。


なんだかとても懐かしい!


これは

撮影モード関係なく昭和を醸し出している。


でもなぜ半分なのか

栄養学的に半分でも充分であることと

配膳上のスペースも考えているだろう

そしてなによりコスト面の理由が

大きかったのだろう。

なので昭和のバナナは

半分にされることが多かったのだと思う。


この半分にカットバナナ

画像などの資料を集めて整理し

記事にしようと決めた。


まず

うっすら記憶のある

修学旅行での食事

確か写真があったはずだと思い

何十年振りかで

アルバムを引っ張り出し開いてみた。

小学5年生(昭和45年)頃の写真かな。

日光の修学旅行の食事風景。


まだ白黒写真が主流の時代だ。

先生が生徒のお行儀を

厳しくチェック(監視)

「はいっ!そこムダ話しはしない!!」

などと声を張り上げていた時代でもあった。

黙って静かにさっさと食べることが美徳だったのだ。

写真の中の私も

ひたすら無言で黙々と食べていた。


それはさておき

食事風景の写真は何枚かあったのだが

バナナなどのメニューを確認できる写真は

残念ながら無かった。


少し焦りを感じつつ

関連しそうな書籍、ネット検索

などでも続けて調べてみたが

それらしい情報が見当たらず

困った。

このお題も断念せざるをえないのか。


であれば

手作りで再現してみようと思い立った。

本物のバナナではなく

形として残せるものがいい。


手持ちの食品サンプルのバラ部材があるので

あとバナナを入手して取り合わせれば

雰囲気が出るかもしれない。

バナナ(食品模型、サンプル)求めて

100均へ向かった。

イミテーションフルーツ100円。

ひとつ買ってきた。

さすがに

半分にカットバナナは製品として存在しない

一本物だ。

おそらく

発砲スチロール製だが

よくできている。

他にもリンゴとか洋ナシなんかもあって

揃えたくなったが今回はバナナだけでいい。

発砲スチロールなので

簡単に切れると思っていたが

甘かった、バナナ並みに。

芯材として

軽石かコンクリートのような

非常に硬い材料が入っていて

切るのに結構苦労した。


ブログ記事作成には

いつも想定外のハードルが

出てくるものだ。

切り口を抉ったところに

これまた100均購入の樹脂粘土を詰めて

表面を平滑に。

なんか

デイリーポータルZの記事っぽくなってきて

いい感じだ。

アクリル絵の具で

切り口の模様を描いてほぼ完成。


描いている風景は

両手がふさがったまま

さらに精神集中していたため

撮影を忘れてしまった。

ここまでくると

さらにこだわりたくなる。

100均だから当然だが

先端の黒い部分が

量産流れ作業的な

ベタ塗りだ。

ここで

奥さんの除光液をこっそり拝借。

奥さんは私のブログに全く興味がなく

見ることはないので

気づかれないだろう

アップしても大丈夫だ。


綿棒に除光液を浸して

トントンと軽く押し当て

塗装部分の黒を落とす。

いい感じでボカシ効果もでた。

皆さんも是非おためしあれ。

(注:強くやり過ぎると黄色の部分まで色落ちします)


記事冒頭の画像は

このようにして完成したものだ。


それでは

メインメニューと付け合わせてみよう。

修学旅行編。

すべて食品サンプル。

アジフライがメインだった日があったような

記憶のカケラをもとに再現してみた。


バナナは半分でも

食べ応えがある。

メインメニューを食べ終えて満腹になった後

これまた腹持ちのよいバナナだ。

野球に例えるなら

ダメ押しのタイムリーヒット

といったところだろうか。


続いて

給食編

これもすべて食品サンプルで構成。

マーガリンは樹脂粘土の残りで作成。


さすがのバナナ

鮮やかな黄色が

地味めな給食に彩りを添える。

半分であっても存在感ありだ。


映画に例えたら

一流俳優が

友情出演でチョイ役を演じている

そんなところだろうか。


そう、彼は本来

主役をも演じられる実力派なのだ。


食品サンプルのストックを開けたついでに

彼が主役を演じている作品を

いくつか紹介しよう。

     カットフルーツ盛り合わせ(食品サンプル)

     チョコバナナパフェ(食品サンプル)

バナナアラモード(食品サンプル)


昭和の喫茶店の甘味メーニュー代表作の面々。


ホイップクリームやアイス

その他カットフルーツなど

個性ある配役を一身に受けとめ

絶妙のバランスを保ちつつも

堂々と主役として鎮座している。


主役からチョイ役まで

TPOにあわせて

やりこなせる

まさしく演技派であろう。


そんな彼を讃える

詩を詠んでみたくなった。

墨や毛筆は持ち合わせていないが

先ほどまで使っていた

アクリル絵の具セットが

そのままだったので

絵の具のブラックと絵筆で詩作。

印は作る時間がなかったので

赤ボールペンで

それっぽく描いてみた。


実は

一度書いたのだがバランス悪く失敗。

裏返して2回目に書いたのが

これだ。

よく見ると気付かれてしまうが

右下などに

失敗作の文字が裏移りしているのは

ご愛敬ということで。



半分にカットバナナ

ではいつ頃から存在したもの

なのだろうか。


家にある料理本を

全部引っ張り出して

(全部と言っても専門に集めているわけ

ではないので10冊程度であるが)

最後に調べておこうと思う。

自分の母親もよく愛読していた

おもに主婦之友などの附録本だ。

魅力的な料理写真が多数掲載されていたが

それらが食卓に登場することは

無かったと思う。

「主婦之友」附録 夏の西洋料理 ㈱主婦之友社 昭和26年8月発行


どの号もバナナは登場するが

房ごとで

銀食器などに盛り付けるなど

必要以上に豪華に演出されている。

実用的な半分にカットは見当たらない。


「365日の献立」を見ても

具体的な記述は載っていなかった。

「婦人生活」附録 三百六十五日の献立と作り方 ㈱同志社  昭和29年1月発行 より


献立には単に「果物」としかなく

かなりアバウトだ。


半分にカットバナナの掲載例を

いくつかアップして

記事を締めくくろう

と考えていたのに

思いのほか情報が掴めないので

気持も散漫、関係ない部分に目が移る。

17日(木)夜の

「シリンプスコキール」が気になった。

(なぜか蟯虫検査を思い出した)

でも作り方など詳細は割愛されていて

詳細はわからない。

シリンプス=シュリンプ?

エビグラタンのようなものか。


このまま

雑誌情報は断念せざるを得ないかなと

思っていたら

一点だけやっとありました。

「主婦之友」 附録 御飯料理の作り方二百種 ㈱主婦之友社 昭和10年11月発行 より


完封負け寸前だったが

9回に犠牲フライで1点だけ返せた心境だ。

(これで記事の体裁がギリで保てたかも

「ありがとう」と心の中で呟いた)


昭和10年(1935年)

今から84年も前の本である。


バナナは昭和38年(1963年)に

輸入自由化されるまでは

かなり希少なものであった。


昭和38年以前は

闇ルートで流通したものが

祭りの露天商で「バナナのたたき売り」

として売られた時代。

少しでも安ければ誰もが飛びつきたくなる

高級品であったのだ。


今ではなんてことないバナナだが

この昭和10年に掲載された

半分にカットバナナは

たとえ半分でも

高級で魅力的で

垂涎ものだったであろう。


その

半分にカットバナナ

80年以上たって

食の環境も大きく変化した今でも

病院食などごくわずかであるが

ひそかに現役であり続けていた。











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